気ままな日記

気に入った出来事があると、すぐにアップする防備録のようなもの

中国地方初の宿泊~日本三大庭園をすべて訪問~

先日から大河ドラマおんな城主 直虎」にまつわる記事しか書かなかったので、彦根城

の次の訪問地はと、浜松あたりではないかと予想された方もいたかもしれません。

 

が、今回は私がよくブログで拝見する歴ドルさんのサイトで宇喜多秀家が城主だった

岡山城の記事を拝見、子どもの頃家族で四国の帰りに岡山を通過したことを思い出し

通過ばかりでは、と名古屋、大阪と経由して岡山市へ初の訪問および宿泊。

 

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岡山城天守を間近からと、岡山後楽園から岡山城天守をのぞむ風景をカメラに収める。

 

この地に最初に築城したのは宇喜多直家だが、豊臣政権の五大老であった宇喜多秀家

この岡山の地に大きな城を築城したのだ。最初は小さいお城なんだろうと思っていたが

登城してみたら結構規模が大きいお城なんだなぁと感じた。

 

岡山後楽園は沢の池が特に美しく、岡山城天守と並ぶとそれは絶景。

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夏季期間中は幻想庭園として夜間も解放しているとのこと。次回広島城あたりと含めて

再訪してみたいもんだ。

 

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岡山駅で新幹線待ちの時間待ちがあったので、地元の食材をつかった日本食で昼食。

お土産品は吉備団子ばかりであまり特徴が無く土産は京都の生八つ橋にしたのだった。

 

新幹線ホームに入ると山陽新幹線の色々な車両が集合。ああ、ここはテツの聖地でも

あるんだなと思った。

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この後は、京都へ向かい祇園祭宵山へ出発!

 

 

 

戦国時代のおんな城主

また大河ドラマの話題ですみません。「おんな城主 直虎」でいつころ井伊直政が登場

するのかまだ不明ですが、30年ほど前に放映された「徳川家康」(原作:山岡荘八)に

万千代(直政元服前)が曳馬城(現在浜松東照宮、現在の浜松城とは違う)に籠城する親類

吉良御前(飯尾連龍正室、飯尾連龍は永禄8年12月今川氏真に謀殺)を攻撃、その後家康

の小姓になる描写があった。永禄11年武田信玄駿河侵攻、徳川家康遠江侵攻の頃

なので「おんな城主 直虎」で間もなく描写されるなぁ。

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なんで憶えているかというと前から私は大河ドラマの原作小説はかなり読了しており、

直政が曳馬城を攻撃するという内容を記憶していた。小説徳川家康」で飯尾連龍の

正室は井伊直政の甥と書かれていたため、「おんな城主 直虎」の歴史観とは違う?と

前から疑問でした。

 

おんな城主 直虎」で同じように謀反の疑いで謀殺された井伊直親(永禄5年12月謀殺)

の後見で井伊直平(永禄6年9月没)、氏真から飯尾連龍の曳馬城攻撃の命を受けた井伊家

当主中野直由、直虎の伯父新野親矩が永禄7年9月に討死、このあたりはドラマで描写

されていましたね。

 

井伊直平については、飯尾連龍と正室(お田鶴の方、椿姫)が毒殺と伝承があるらしく

もしドラマに飯尾連龍と正室(お田鶴の方、椿姫)を出演させていれば、直虎の宿敵と

しておんな城主 VSおんな大名(お田鶴の方)のエピソードがあったかも?

 

戦国時代は意外と女性が当主の役割を果たしていたことは新しい発見でした。

 

関八州の北条家、駿河・遠江・三河の太守今川家、甲斐・信濃の武田家、越後の長尾家

戦国大名の始まりとして、伊勢新九郎(北条早雲)が堀越公方茶々丸を討伐して関東に

覇を叶えて小田原を本拠に統治したことが日本史の教科書に載っていたがこの時代の

映像化はあまりなく、関東管領上杉憲政を自領に保護した家宰の長尾景虎(上杉謙信)と

武田晴信(武田信玄)との対立あたりから頻繁に映像化されております。方や駿河以西を

統治する今川家は一族内紛を解決(花倉の乱)し守護大名から戦国大名へと変遷しており

室町幕府勢力弱体後に後継者と自負していた今川義元は、甲斐の武田信玄、小田原の

北条氏康と三者同盟を結び、家督今川氏真にゆずりみずから上洛を試みます。

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尾張の新興勢力織田信長桶狭間にて今川義元を討伐してからは、美濃の斎藤道三

三河の松平元康(徳川家康)、甲斐の武田信玄、越後の長尾景虎(上杉謙信)と時には協調、

時には敵対しながら領国を拡大、室町幕府の政権中枢勢力に取り入り統一までこぎつけ

そうになったこと、おそらく繰り返し映像化されていることだと思います。


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この中で過去暗君として描かれていたのは蹴鞠で有名な今川氏真桶狭間の敗戦から

遠江掛川城からの退去までの期間はほとんど何もしていないように描かれていました。

新田次郎武田信玄」では、甲信同盟を破棄した武田信玄に対して憎悪を向けた描写が

あり、山岡荘八徳川家康」では今川を裏切った徳川家康に対して憎悪と恨むのは自由

だが今川家の当主としてはもの足りないという感じでした。

  
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今年の大河ドラマおんな城主 直虎」では遠江の国人・井伊谷井伊直親・直虎を敵視

ついに井伊直虎井伊谷の地頭職剥奪(まぁドラマでは寿桂尼が指示するみたいですが)

などそれなりに今川家の当主として君臨していたようです。


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しかし、祖母寿桂尼が他界、武田信玄駿河侵攻を開始するとひとたまりもなく府中

(駿府)から逃亡、遠江掛川城で再起を図るも三河徳川家康の侵攻により、関東小田原の

北条氏康の元へ行きましたね。祖母寿桂尼生存までは氏真も以外に頑張っていましたが

やはり家臣に恵まれなかったのかな?と思います。

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琵琶湖湖北の長浜にも初訪問

先週岐阜羽島に宿泊したのは次のような目的があったからだ。

 

・EXカードのグリーン乗車プログラムをつかいたかった。(ひかり号乗車で可だった)

都道府県で降車したことがない岐阜県に宿泊したかった。岐阜市ではなく新幹線の

 停車駅の岐阜羽島(羽島市)になりましたが。

岐阜県(犬山城岐阜城大垣城)もしくは滋賀県の未見の史跡に初登城したかった。

・名古屋と京阪神に近いところにしたかった。

 

ところがホテルというものは水辺のあたりは高いもの。長浜、彦根など琵琶湖畔の

ホテルは総じて価格が高く、内陸の岐阜などはやはり安い。岐阜羽島駅前に大手の

ビジネスホテルが2軒あり、新幹線移動なら名古屋にも米原にも1駅で行けるため

ほぼ即決で岐阜羽島のビジネスホテルに宿泊しました。

 

岐阜羽島宿泊の翌日、午前中は長浜城、午後は彦根城と計画して待望の滋賀県の城郭

へ登城。両者ともJRの駅から徒歩で行ける距離。長浜城(豊公園)は琵琶湖畔に近いので

すごくよかったなぁ。

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少し誤算だったのは

彦根城平山城と認識しておらず行ってしまったこと。和歌山城の時と同じ。

・京都駅に着いたのが夕方、かつ京都タワー改装後取引先銀行のATM店舗が無い(T_T)

・東京へ帰らないといけなくなったため、関西での食事ができなかったこと。

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今度の海の日あたりの 3連休は趣向を変え、遠征旅行にしたいです。えっ、どこに遠征

するかって?それは後の楽しみということで・・・

国宝 彦根城 築城410年祭に訪れた

会社の有給休暇をつかい、京都出身ながら1回も訪問したことのない彦根市彦根城

行ってきました。※前泊は新幹線駅の岐阜羽島アパホテル

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彦根城佐和口多聞櫓を再現した開国記念館では「おんな城主 直虎スペシャル企画

大河ドラマに見る井伊家 ~「花の生涯」から「おんな城主 直虎」まで~』を展示。

井伊直虎はともかく井伊直政彦根城は未見だということには少々驚いた。

 

7月4日から東京江戸博物館で特別展『戦国!井伊直虎から 直政へ』を展示すること

もあったので、事前に見ておこうと入館。幕末の井伊直弼花の生涯」から演じた

俳優の展示(「花の生涯」の二代目尾上松綠、「篤姫」の中村梅雀、「花燃ゆ」の

高橋英樹など)も合わせている。彦根では井伊直弼は「開国の父」と言われ崇拝されて

いることから、一般的な井伊直弼のイメージとは違うんだろうな?と感じた。

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※ちなみに特別展『戦国!井伊直虎から 直政へ』では井伊直弼についてはスルーされ

ると思っている。

 

この後、二の丸御殿(槻御殿)の「玄宮園」「楽々園」→「彦根城博物館」→「天守

とまわったものだから、予想以上に見学に時間を費やしてしまった。

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彦根藩第四代藩主井伊直興建立の槻御殿「玄宮園」「楽々園」、彦根藩政庁の表御殿

彦根城博物館」と見学したら結構見応えがあって滞在時間を軽くオーバー(・o・)

彦根城を後にして、汗だくだくで彦根駅に向かいました・・・

 

今回未見の天秤櫓での展示の『映画「関ヶ原」特別展』は見たいなぁ。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」

実はこのドラマが製作発表されて、柴咲コウが主人公・主演と耳にした時の感想は

「ハア?」の一言に尽きる。柴咲コウといえば、「ガリレオ」をはじめとした主人公の

男性とダブル主演の時に一番光る女優である。今回のように単独主演しかも 大河ドラマ

主役の向きでは全くない。過去女性が主役の大河ドラマは名の通った女優が中心。

・「おんな太閤記」の佐久間良子

・「草燃える」の岩下志麻(主演は石坂浩二)

・「いのち」「花の乱」の三田佳子

・「春日局」の大原麗子

 

近年だとNHKの朝ドラなどの出演者、NHKの功労者から選ぶことが多かった。

・「利家とまつ」の松嶋菜々子(唐沢寿明とダブル主演)

・「功名が辻」の仲間由紀恵(上川隆也とダブル主演)

・「篤姫」の宮崎あおい

・「お江」の上野樹里

 

その後はあまり過去のNHKのドラマに関係ない女優を選んできている。

・「八重の桜」の綾瀬はるか

・「花燃ゆ」の井上真央

この 2作は結果視聴率的に大苦戦。それでドラマの出来はというと「八重の桜」は

ともかく「花燃ゆ」は群馬県令時代だけで朝ドラでもよかったんじゃないかと真面目に

思ったもんだ。NHK大阪放送局製作の「あさが来た」で波瑠演じるヒロインで朝ドラ

を製作した時、もう大河ドラマの時代ではないと思ったもんよ。

 

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確かにドラマが始まり、第4話にして柴咲コウがやっと登場してきたときはともかく

相手の井伊直親役の三浦春馬だとどう見ても違和感。小野但馬守役の高橋一生は地味、

井伊直虎役では若さ、未熟さを体現するあまり、ギャーギャーとうるさいだけの役。

彼女は時代劇に不向き(テレビドラマ・映画「信長協奏曲」出演はあるにせよ)じゃ?

と思ってた。

 

ところが今川氏真(尾上松也)に井伊直親が討ちとられた後の展開で、紆余曲折の末、

還俗して、女地頭(この場合井伊谷の領主)になってからというもの、若い中野直之

(矢本悠馬)と奥山六左衛門(田中美央)を従えたころからドラマの核ができたのか少し

面白くなってきた。また今川氏寄りの小野但馬守(高橋一生)の井伊直虎に対する複雑な

感情を見ていくうちに、井伊直虎がはまっていくなぁ!とだんだん思えてきた。

 

今回龍雲党の首領・龍雲丸(柳楽優弥)との再会、井伊直虎が懸命に龍雲丸に訴える姿を

見て、当初直虎役でオファーされていた杏ではなく、柴咲コウでよかったんじゃない?

と思えるようになってきたのです。くらいに柴咲コウは表情が豊かで見ていてとても

面白い。これは大河ドラマではない!という方も一度固定観なしにご覧になるといい

かもしれない。

感情移入してしまったドラマ

at-ogikubostation.hatenablog.com

 

4月に記事にしたドラマ所感の続編です。

 

タイトル通り、感情移入してしまったドラマは数知れないが、私が最初に感情移入した

のは、東京に在住して 2年ほどで終了してしまった「太陽にほえろ!」だろう。

 

86年に山村刑事役の露口茂が降板、その直後ボスの石原裕次郎が体調不良のため 2度目

の欠場が決定的になり、後に番組を降板したいと発表。山さんが殉職して「太陽~」は

実質終了したと感じた後の追い打ち。当時のレギュラー神田正輝はじめ出演者の方々は

路頭に迷うような感じだったでしょうね。しばらくして、渡哲也がボスの旧知の部下で

橘警部役で出演、西部警察の大門団長と違い、ボスを彷彿させるようなどっしりとした

風貌で。でもこのころだと様々なテコ入れにも関わらず視聴率も伸び悩み、番組は終了

することに。最終回の放送の日は大学にいましたが新聞のテレビ欄を見て流石に感慨

深いものを憶えましたね。

 

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番組が終了して 8ヶ月後、慶応大学病院の近くでアルバイトをしていたところへ久々に

訪れたようとした時、病院には報道陣が詰めかけていた。この時、「あっ、入院中の

石原裕次郎に何かあったな。」と。

 

そのあとバイト先には行かず、すぐさま自宅に戻りテレビのスイッチを入れた。夕方の

6時半頃だったが「石原裕次郎死去」と。記者会見で懸命に看護していたまき子夫人と

仕事を抑え看護していた渡哲也。1回目の大動脈破裂の手術の際も目に涙を浮かべ懸命

に看病していた渡哲也の姿に感銘を受けたこと思いだしながらテレビを見ていたな。

 

この日は日テレ特番枠で日活映画の共演者のみなさんと、ゴリさん、殿下が出演して

いた記憶がある。深夜枠もの当時フジのバラエティー番組のMCだった渡辺徹も、番組

冒頭ボロボロ泣いていました。

 

太陽にほえろ!」はよく前期(ボス、山さん、長さん、ゴリさん、殿下の番組初期の

メンバー)と後期(殿下殉職後、ドックの加入後入替ったメンバー)で雰囲気もテーマ曲も

変わりぱっと見、全然違う別のドラマか?と比較対象?特にボギーが殉職して以降は

太陽にほえろ!」を見なくなったかな?

 

この時代は昭和62年。平成に入る前の日本を席巻したスターだったんでしょうね。