阪神ファンへの道~ファンでもないのに阪神を見限ってた!?~
今から40年ほど前、絶対的な人気を誇った巨人長嶋茂雄氏が現役引退、川上哲治氏は
巨人監督の座をこの長嶋茂雄氏に譲った。巨人のV9メンバーで最初に引退したのが
長嶋茂雄氏、森昌彦氏(のちの西武→横浜監督)。その後長嶋監督1年目はぶっちぎりの
最下位。このへんから話を始めましょ。
前回生まれて始めて野球観戦したのが1975年とお伝えしました。長嶋巨人が最下位を
くらった年です。阪神タイガースは、広島カープと中日ドラゴンズとで激しく優勝
争いを演じていました。でも、この頃の球場の場内の様子を見て不思議なこと。
なんとぶっちぎりの最下位読売ジャイアンツの試合の観客は常に満員。方や上位の
広島、中日、阪神の三球団の球場の方が観客が少なかったのだ。
私は高校野球の甲子園で常に満員のスタンドを見慣れていたものだから、プロ野球
阪神戦のほうが観客が少ない、勝手に人気がないと勘違いしていたフシがあります。
ひきかえに巨人の試合は常に満員、あとで冷静に考えると不思議ですが、当時の
プロ野球のTV視聴率は川上巨人の頃よりアップしていたらしい。そのためしばらく
人気で巨人>阪神その他と単純に憶えていたようです。
巨人は日本ハムから張本勲をトレードで獲得、王貞治のホームラン世界記録の挑戦
達成と長嶋茂雄の継続人気で 2年連続優勝。もうこの頃になるとTV視聴率をとれる
コンテンツとしてプロ野球巨人戦中継が敵なしになりつつありました。でも日本一
には到達できなかった当時の読売新聞・巨人首脳は焦りからとんでもない悪業を
しでかすことになってしまったのです・・・
さて関西地方でも、TV視聴率では無敵だった巨人戦。その放送のウラで、一地方局
の神戸サンテレビと京都近畿放送(現KBS京都)が完全中継、後楽園を除く毎日全国の
阪神タイガースの試合を中継してくれていました。そのためプロ野球中継の当時の
視聴順は、阪神の試合→巨人の試合→阪神の試合でした。この頃からサンテレビは
全国に中継車を出しており、神宮球場、広島球場など常に追っかけてました。
そのため、私はすっかり阪神タイガースの主力選手の力量を熟知していましたわ。
ただこの頃の阪神タイガースの選手は容姿で苦戦。阪神相撲部屋と言われてました。
そりゃ、田淵幸一、江夏豊、遠井吾郎だもんね。巨人は高田繁、小林繁、定岡正二。
ウチの姉なんかには、阪神の選手デ○で嫌い!なんて言われてました。
掛布雅之が有名になると、姉に「掛布ってどんなルックス?」と聞かれました・・・
後でTVで見て・・・好みではなかった、ということでしょう。姉の好みは定岡正二。
なので、江川事件で阪神に入団した小林繁、新球団西武からトレードで阪神に入団
した真弓明信、若菜嘉晴と結構イケメンが入団してから少し印象が変わりました。
※そのあと岡田彰布、平田勝男など入団で、やっぱり阪神顔の選手やと笑われて
しまいましたがねw
この頃私は、パ・リーグ近鉄バファローズ西本幸雄監督と近鉄球団に興味をもち、
阪急と対決したプレーオフ、日本シリーズはひたすら近鉄を応援。姉も西本氏には
いい印象を持っていたようです。今となっては当時の心境はようわかりませんが、
はための印象が悪かった阪神タイガースを見限っていたのは確かだったようです。
※この頃になっても私は阪神ファンではなかったんです。