平成時代最後の大相撲観戦。
日本相撲協会が主催する本場所。東京で 3回、大阪、名古屋、福岡で各1回ずつ開催。その大相撲だが、場所入り直後に配布される取組表には「平成○○年大相撲○月場所」(名古屋、九州は地名+場所で表記されるが正式名称は○月場所)と西暦ではなく元号表記になっていたので、今年天皇の譲位がある五月より前の表記は「平成三十一年大相撲○月場所」とかかれるものだと思い込んでいた。なんでかというとここ数年大相撲はチケットが入手しにくく、平日開催でないと場所入りできないことが多かったんです。だが今年の一月場所が珍しく休日 2日連続でチケットがとれました。なお 私でも2日連続の観戦は流石に珍しいんですが、取組表はスマホでも見られるし目も良くないため印刷物でもらう取組表はどちらかというとパンフレット替わりにしていましたから、一月場所が終わってから「二○一九年大相撲一月場所」という表記だったことに気づきました。相撲は神事としてはじまり、特に天皇と結び付きが強いこともあって元号表記は絶対と思っていましたからこの対応は意外でした。
大相撲一月場所はまだ横綱稀勢の里が現役で、初日対御嶽海戦、二日目逸ノ城と取組は完敗。三日目平幕栃煌山にやぶれ現役引退。日本人横綱の引退は残念だが仕方ない。
一月場所は十一日目までは白鵬全勝だったが十二日目休場明け途中出場の小結御嶽海に完敗後けがをしてしまい途中休場。関脇玉鷲の初優勝までみることができた。
そして平成時代最後の本場所となる大阪での三月場所。七日目で今回初めて自由席を購入。昼は甲子園のオープン戦観戦のためエディオンアリーナ(大阪府立体育会館)から離れましたが夕方には戻り中入り後取組を観戦。
仕事があるため一旦東京へ戻り、春分の日のお彼岸中日、毎年恒例のとなっている三月場所とセンバツ観戦ツアー、平日ではあったが十三日目の場所入りが平成時代のラストの大相撲観戦。
平成時代晩年は栃ノ心、御嶽海、貴景勝、玉鷲と新顔の優勝がつづきましたが、平成時代最後の場所は横綱白鵬の全勝優勝。
千秋楽に大関栃ノ心を破った関脇貴景勝はここのところの三場所通算34勝(十一月場所小結 13勝、一月場所 11勝、今場所 10勝)で平成時代最後の大関へ昇進となりました。
また、5月1日からの元号も政府菅官房長官から公表。興行名は西暦となりましたが、番付表で「令和元年大相撲○月場所」との表記があっても良いかと。