気ままな日記

気に入った出来事があると、すぐにアップする防備録のようなもの

1985年の日本シリーズはこんなことだった

年末もおしつまった日たまたまチャンネルをBSに合わせたところ、阪神OB掛布雅之

池田親興と西武OB東尾修石毛宏典が1985年の日本シリーズを回顧していた。そう

阪神タイガース唯一の日本一になったあの年のことだ。

 

www.bsfuji.tv

 

その頃私は大学2年生、上京後しばらく自宅にテレビが無く、バイトが終わると大学

(今は少なくなった 2部学生)に通学していたから、プロ野球の試合は観戦しておらず、

休日の自宅にいるときにラジオを聴取するくらいでした。昼間は当時信濃町の図書館

蔵書の文献を提供する会社のアルバイトをしておりました。そのバイト先からは全国

地方から色々な学生が集まり、その頃の注目スポーツは断然プロ野球、全国にファンを

要する巨人ファンが一番多かったですが、中には中日ファン、ヤクルトファンとおり、

休憩時間内には喧々諤々と野球談話していました。

 

10月16日(月)には神宮球場一周を阪神ファンが取り囲んでいることも知らず大学通学を

していたこともあったので、セ・リーグ優勝の瞬間も知らず「夜のヒットスタジオ」の

放送開始を遅らせ、大阪道頓堀では道頓堀川ダイブなど後日になって知ったことです。

この年の阪神タイガースはホントに社会現象を引き起こしていましたね~

 

ただ相手はパ・リーグで断トツに強かった西武ライオンズ。前年までの球団創設時の

主力の田淵幸一山崎裕之の引退で世代交代時期ではあったにせよ石毛宏典伊東勤

辻発彦秋山幸二大田卓司、投手では東尾修松沼博久松沼雅之兄弟、高橋直樹

工藤公康永射保渡辺久信と中から 6名もの監督を輩出している球団。もう素直に

阪神はさすがに西武には勝てんやろ~と思ってました。

 

10月26日 所沢・西武ライオンズの本拠地西武球場で開幕。ファンの勢力図は1 VS 1。

ものスゴイ声援を繰り広げます。後年プロ野球交流戦で集中開催でセ・パ両リーグの

対戦で阪神タイガースは他球団の地元であっても動員数、歓声が半端ないと言われて

いますが、動員数を話題とするのはこの年が一番最初だったんじゃないでしょうか。

 

開幕第1戦は 西武松沼博久阪神池田親興の投手戦、8回表先発松沼を下げ工藤公康

投入したが、ランディ・バース左翼席への流し打ち本塁打。池田は完封勝利をあげて、

試合後のインタビューで「今日に関しては(セ・リーグ最下位だった)ヤクルトのほうが

怖かったですね」と新聞の記事にも載っていて、BSフジの番組内で石毛宏典が「あっ、

これはさすがに頭にきますね。直後に聞いていれば何くそ!と思ったかも知れません」

 

第2戦は西武高橋直樹阪神リッチ・ゲイル。西武石毛宏典にソロ本塁打あびるも、

またもランディ・バースが逆転の3ラン本塁打。西武はリリーフには東尾修を出して

懸命に失点を防ぎました。8回裏にはランナー 2人をおいて辻発彦が1塁側にスクイズ

敢行したが、ランディ・バースの見事な守備、送球で秋山幸二を本塁封殺!

 

甲子園に舞台を移して、第3戦はまたもバースに本塁打が出ますが接戦負け、第4戦は

西武打線が爆発して敗戦。このころはシーズンでも3タテをくらうことはよくありまし

たから、こらここまでかなぁ?でした。

 

ただこの時掛布は「甲子園で3連敗はできない」と。好調バースと比較してシリーズ

不振だったこともあり彼の勝利への執念が実り、第5戦 1回裏西武先発小野和幸から

センターバックスクリーンへ3ラン本塁打を放ち先制。阪神は試合展開を楽にした。

4月初旬の巨人戦で、槙原寛己投手からバース、掛布、岡田彰布のバックスクリーン

3連発の後に発生した波が復元されたようと掛布は表現しました。そして前年大洋を

解雇された長崎慶一が追加の2ラン本塁打を放ち、これで日本一王手をかける。

 

第6戦は西武球場。後が無い西武ライオンズは、第5戦で出番のなかった東尾かな?

と思ったのですが、ローテ通り高橋直樹。第5戦の勢いのまま満塁とチャンスを迎え

長崎慶一がなんと右翼席へ満塁本塁打!ますます西武は苦しい展開になりました。

ダメ押しは掛布雅之。9回表吉竹春樹をおいて左翼席へ2ラン本塁打を放ち勝負あり。

普通は淡々とベースランする掛布はこの時右手で一本指をたてて日本一を表現した。

 

選手たちは夢に見た日本一。阪神吉田義男監督の胴上げを見届けたOBの選手たち、

一部は現役時代に吉田監督とは確執があったにも関わらず阪神タイガースの優勝を

祝し、新聞などに祝報を寄稿していました。

 

球団の根本陸夫管理部長と確執があった広岡達朗監督はシリーズ終了後監督を辞任し

西武を退団します。広岡達朗氏は 2005年にはロッテGMに就任しましたが、監督に

招へいしたボビー・バレンタイン監督とまた確執を起こし、翌年ロッテを退団。

 

吉田義男氏も 2年後 1987年には最下位へ転落し解任、1996年に 3回目の監督に就任も

2年で退団。野村克也氏で地力を蓄え、星野仙一氏指揮下で18年ぶりセ・リーグ優勝を

果たします。