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気ままな日記

気に入った出来事があると、すぐにアップする防備録のようなもの

阪神ファンへの道~生活環境の激変により~

野村克也氏(南海→ロッテ→西武、南海、ヤクルト→阪神楽天監督)が回顧録で阪神

ことを記載する時、関西マスコミの露骨なひいき報道について苦言を呈しています。

読売新聞、中日新聞とはちがいマスコミを親会社に持たない鉄道会社、かつ関西では

一番路線キロが少ない球団が一番人気があり、南海監督だった頃パリーグは見向きも

されていませんでしたからねぇ~ でもこの頃の記憶では関西の民放(特にTV)でも

阪神ひいきではなかったように記憶しています。

 

最初に阪神タイガースを熱烈に応援していたのは、朝日放送中村鋭一アナ(当時)。

ラジオで冠番組「おはようパーソナリティ~」をひっさげスゴイ応援。六甲おろし

阪神ファンに認知させたのもこの中村鋭一氏です。すでに関西のスポーツ新聞の

一面を阪神の話題を記事にしていた記憶はあるので、あながち野村克也氏の述懐は

間違いはないのかもしれません。

 

1978年、当時関西でも人気の巨人のホームゲームのラジオ中継権を、読売新聞が

ラジオ関東に独占させて以降、関西の民放ラジオは中継を阪神タイガースの試合

(巨人VS阪神で巨人ホームの場合、在阪パの試合中継)に切りかえてしまいました。

このことにより、関西に至っては日常の露出が完全に阪神>巨人になりました。

関西のローカル放送「おはよう朝日です」の開始が 1979年なので、マスコミ各社の

阪神の応援がその頃日常になったと思います。私は大学受験を控え、地元の大学へ

進学を希望するも不合格、東京の法政大学へ進学。かの江川卓氏と同じ大学。

余談ですが、同級生たちには「絶対東京の大学には行かない!」と宣言してました

から、法政大学へ進学と話すや「裏切りモンw」とからかわれてしまいました(+o+)

 

これで生活環境が激変、マスコミは巨人の報道一色、ケーブルテレビやネットが

ない時代、阪神タイガースの試合は見られません。今まで当たり前にあったものが

急になくなると困ることはありますが、私にとってはすべてが奪われた状態。

直後の 1985年の優勝、日本一。この頃の阪神タイガースは関西の頃の記憶に戻れる

唯一の実感を味わえる存在となっていました。こうなりゃ立派なトラキチよね(^O^)/

 

こういった経緯から、東京に在住しなければ阪神ファンじゃなかった?と思うことが

時々あります。2003年、2005年に優勝の歓喜はハンパなかったしね(*^_^*)

※野球に興味がない両親には阪神グッズを見られて苦言を呈されること(・o・)