京都夏のお祭り~祇園祭宵山
ウチの会社に同郷出身の娘がおり、丁度入社してきた頃地元の京都の話題に。祇園祭
後祭が復活と記事を目にしたので「そんなん知ってるか?」と「いや私も知りません」
と会話してから、そーいや祇園祭なんかは最後に行ったのは中学生くらいの時かな?
と記憶をめぐらし、それじゃ今度の海の日の三連休は宵山、祇園祭前祭と休みが重なる
ので行ってみっか?とあいなり岡山観光の寄り道で京都にGo!
そう、海の日あたりは結構甲子園で野球をみたり帰省していることが多く、関西にいる
確率は高く、帰省たびに祇園祭へ行ってるのかと思いきや、そこはウチの実家のヤツ
は出不精、家でじっとして美味いもの(この頃だと土用のウナギ、鱧のおとし)を食って
いるほうがよいのだと(・o・)まぁ私もその一面はあるので否定はしませんが・・・
夕方15時頃、新幹線新大阪駅を過ぎて車窓から京都方面の雲をみると空が真っ黒(・o・)
こりゃ夕立か?とみたら案の定桂川を超えたあたりから雷雨が激しくなってきた(T_T)
ただし、私にとっては生まれ育った街でもあり雨にぬれずに歩けるスポットは全部理解
できているし、慌ててはいなかったかな?これ未訪地だったら少々パニくってたかも?
とにかく京都駅から新幹線改札を直接出場、八条口側から地下鉄烏丸線へ乗換ました。
最寄りは四条駅。ここで下車できれば長刀鉾は近いしとぼやっと考えていたら、車掌
から「阪急烏丸駅方面(地下鉄→阪急電車の乗換口)の改札混雑のため出場規制中。駅
出場には仏光寺方面から」と無情の通告(>_<)仏光寺通でてもどないしようもないので
地下鉄をもう少し乗車して、京都市役所まで廻り、寺町京極→三条名店街→新京極→
錦市場とかなりの距離で雨にぬれず移動できるプランに即変更。地元ならではの切替
の早さ(^O^)/
本能寺の山門を見ながら、今年「本能寺ホテル」を見に行ったなぁ、とかすき焼きの
名門三嶋亭でいっぺんすき焼き食べたいなぁ、とか新京極の映画館があったとこは
随分かわったんやな、とかなんとか四条通まで出てみました。
この後錦市場へいって立食で旨いいもんでも、でしたが錦市場の真ん中あたりで人が
動かなくなってしまったため、四条通へ再度迂回し大丸京都店へ。この頃絶頂に暑く
涼みに入ったのだが、1階には祇園祭の山鉾のオブジェが展示。見事やねと。
再度四条通→四条烏丸交差点方向へ足を向ける。東洞院通のJEUGIA四条店に近づく頃
長刀鉾が見えてきた(^。^)さぁもう少しと思いきや、京都府警から「ここは東行き一方
通行」と無情の宣告(T_T)やむなく四条通を下京区の境界あたりの方へ移動。それから
月鉾あたりまではほぼギュウギュウ詰めでした(+o+)
18時を過ぎ、やっと四条通が歩行者天国になったから行き来がスムーズに。すべての
山鉾は見れない。そこで月鉾から割と近い提灯落としで有名な菊水鉾へ。
再度四条烏丸交差点から綾小路通あたりまで歩くとりんごあめの屋台が。ああ懐かし。
東京に用事があったので、地下鉄四条駅→京都駅へ。これで今年の祇園祭は見おさめ。
今回はパンフに記載の前祭巡行の前日(宵山)に訪問でした。
次回はいまだ未見の後祭巡行を見てみたいですね。
真夏の遠征~大相撲名古屋場所・当日券での観戦
岡山城へ登城する前にはどうしても東海道を下らないといけないので名古屋、京阪神と
通過しなければ行けないことは解っていました。というのも、この海の日をはさんだ
三連休にどこか行きたいなぁと考え、時間をつぶす場所としてふさわしいのはどこ?
となって候補に選んだのが次の三か所。
・前回見損ねた彦根城の残り遺構の訪問
のはずだったんですが、実は名古屋でこんな遠征ネタが・・・
・大相撲名古屋場所
で、これは名古屋やなと方向転換\(^o^)/
ところが肝心の指定席はどちらのイベントも完売やないか(T_T)
それでも大相撲なら当日券があり、平日やったら夜行で行ったらなんとかなると思い
何も考えずに会社の創立振休をつかい、東京→名古屋栄→愛知県体育館へ。
久々名古屋に滞在して大相撲を堪能しました。ホンマはナゴヤドームへ行けば名古屋で
一泊予定が途中で変更。一路大阪へ移動して宿泊は大阪へ(・o・)
また、今度名古屋で宿泊しよっと考えてます。。。
中国地方初の宿泊~日本三大庭園をすべて訪問~
先日から大河ドラマ「おんな城主 直虎」にまつわる記事しか書かなかったので、彦根城
の次の訪問地はと、浜松あたりではないかと予想された方もいたかもしれません。
が、今回は私がよくブログで拝見する歴ドルさんのサイトで宇喜多秀家が城主だった
岡山城の記事を拝見、子どもの頃家族で四国の帰りに岡山を通過したことを思い出し
通過ばかりでは、と名古屋、大阪と経由して岡山市へ初の訪問および宿泊。
岡山城天守を間近からと、岡山後楽園から岡山城天守をのぞむ風景をカメラに収める。
この地に最初に築城したのは宇喜多直家だが、豊臣政権の五大老であった宇喜多秀家が
この岡山の地に大きな城を築城したのだ。最初は小さいお城なんだろうと思っていたが
登城してみたら結構規模が大きいお城なんだなぁと感じた。
岡山後楽園は沢の池が特に美しく、岡山城天守と並ぶとそれは絶景。
夏季期間中は幻想庭園として夜間も解放しているとのこと。次回広島城あたりと含めて
再訪してみたいもんだ。
岡山駅で新幹線待ちの時間待ちがあったので、地元の食材をつかった日本食で昼食。
お土産品は吉備団子ばかりであまり特徴が無く土産は京都の生八つ橋にしたのだった。
新幹線ホームに入ると山陽新幹線の色々な車両が集合。ああ、ここはテツの聖地でも
あるんだなと思った。
戦国時代のおんな城主
また大河ドラマの話題ですみません。「おんな城主 直虎」でいつころ井伊直政が登場
するのかまだ不明ですが、30年ほど前に放映された「徳川家康」(原作:山岡荘八)に
万千代(直政元服前)が曳馬城(現在浜松東照宮、現在の浜松城とは違う)に籠城する親類
吉良御前(飯尾連龍正室、飯尾連龍は永禄8年12月今川氏真に謀殺)を攻撃、その後家康
の小姓になる描写があった。永禄11年武田信玄の駿河侵攻、徳川家康の遠江侵攻の頃
なので「おんな城主 直虎」で間もなく描写されるなぁ。
なんで憶えているかというと前から私は大河ドラマの原作小説はかなり読了しており、
直政が曳馬城を攻撃するという内容を記憶していた。小説「徳川家康」で飯尾連龍の
正室は井伊直政の甥と書かれていたため、「おんな城主 直虎」の歴史観とは違う?と
前から疑問でした。
「おんな城主 直虎」で同じように謀反の疑いで謀殺された井伊直親(永禄5年12月謀殺)
の後見で井伊直平(永禄6年9月没)、氏真から飯尾連龍の曳馬城攻撃の命を受けた井伊家
当主中野直由、直虎の伯父新野親矩が永禄7年9月に討死、このあたりはドラマで描写
されていましたね。
井伊直平については、飯尾連龍と正室(お田鶴の方、椿姫)が毒殺と伝承があるらしく
もしドラマに飯尾連龍と正室(お田鶴の方、椿姫)を出演させていれば、直虎の宿敵と
しておんな城主 VSおんな大名(お田鶴の方)のエピソードがあったかも?
戦国時代は意外と女性が当主の役割を果たしていたことは新しい発見でした。
関八州の北条家、駿河・遠江・三河の太守今川家、甲斐・信濃の武田家、越後の長尾家
戦国大名の始まりとして、伊勢新九郎(北条早雲)が堀越公方の茶々丸を討伐して関東に
覇を叶えて小田原を本拠に統治したことが日本史の教科書に載っていたがこの時代の
映像化はあまりなく、関東管領上杉憲政を自領に保護した家宰の長尾景虎(上杉謙信)と
武田晴信(武田信玄)との対立あたりから頻繁に映像化されております。方や駿河以西を
統治する今川家は一族内紛を解決(花倉の乱)し守護大名から戦国大名へと変遷しており
室町幕府勢力弱体後に後継者と自負していた今川義元は、甲斐の武田信玄、小田原の
北条氏康と三者同盟を結び、家督を今川氏真にゆずりみずから上洛を試みます。
尾張の新興勢力織田信長が桶狭間にて今川義元を討伐してからは、美濃の斎藤道三、
三河の松平元康(徳川家康)、甲斐の武田信玄、越後の長尾景虎(上杉謙信)と時には協調、
時には敵対しながら領国を拡大、室町幕府の政権中枢勢力に取り入り統一までこぎつけ
そうになったこと、おそらく繰り返し映像化されていることだと思います。
この中で過去暗君として描かれていたのは蹴鞠で有名な今川氏真。桶狭間の敗戦から
遠江掛川城からの退去までの期間はほとんど何もしていないように描かれていました。
新田次郎「武田信玄」では、甲信同盟を破棄した武田信玄に対して憎悪を向けた描写が
あり、山岡荘八「徳川家康」では今川を裏切った徳川家康に対して憎悪と恨むのは自由
だが今川家の当主としてはもの足りないという感じでした。
今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」では遠江の国人・井伊谷の井伊直親・直虎を敵視
ついに井伊直虎を井伊谷の地頭職剥奪(まぁドラマでは寿桂尼が指示するみたいですが)
などそれなりに今川家の当主として君臨していたようです。
しかし、祖母寿桂尼が他界、武田信玄が駿河侵攻を開始するとひとたまりもなく府中
(駿府)から逃亡、遠江掛川城で再起を図るも三河徳川家康の侵攻により、関東小田原の
北条氏康の元へ行きましたね。祖母寿桂尼生存までは氏真も以外に頑張っていましたが
やはり家臣に恵まれなかったのかな?と思います。
琵琶湖湖北の長浜にも初訪問
先週岐阜羽島に宿泊したのは次のような目的があったからだ。
・EXカードのグリーン乗車プログラムをつかいたかった。(ひかり号乗車で可だった)
・都道府県で降車したことがない岐阜県に宿泊したかった。岐阜市ではなく新幹線の
・岐阜県(犬山城、岐阜城、大垣城)もしくは滋賀県の未見の史跡に初登城したかった。
・名古屋と京阪神に近いところにしたかった。
ところがホテルというものは水辺のあたりは高いもの。長浜、彦根など琵琶湖畔の
ホテルは総じて価格が高く、内陸の岐阜などはやはり安い。岐阜羽島駅前に大手の
ビジネスホテルが2軒あり、新幹線移動なら名古屋にも米原にも1駅で行けるため
ほぼ即決で岐阜羽島のビジネスホテルに宿泊しました。
岐阜羽島宿泊の翌日、午前中は長浜城、午後は彦根城と計画して待望の滋賀県の城郭
へ登城。両者ともJRの駅から徒歩で行ける距離。長浜城(豊公園)は琵琶湖畔に近いので
すごくよかったなぁ。
少し誤算だったのは
・彦根城を平山城と認識しておらず行ってしまったこと。和歌山城の時と同じ。
・京都駅に着いたのが夕方、かつ京都タワー改装後取引先銀行のATM店舗が無い(T_T)
・東京へ帰らないといけなくなったため、関西での食事ができなかったこと。
今度の海の日あたりの 3連休は趣向を変え、遠征旅行にしたいです。えっ、どこに遠征
するかって?それは後の楽しみということで・・・
国宝 彦根城 築城410年祭に訪れた
会社の有給休暇をつかい、京都出身ながら1回も訪問したことのない彦根市と彦根城へ
彦根城佐和口多聞櫓を再現した開国記念館では「おんな城主 直虎」スペシャル企画
『大河ドラマに見る井伊家 ~「花の生涯」から「おんな城主 直虎」まで~』を展示。
※井伊直虎はともかく井伊直政も彦根城は未見だということには少々驚いた。
7月4日から東京江戸博物館で特別展『戦国!井伊直虎から 直政へ』を展示すること
もあったので、事前に見ておこうと入館。幕末の井伊直弼「花の生涯」から演じた
俳優の展示(「花の生涯」の二代目尾上松綠、「篤姫」の中村梅雀、「花燃ゆ」の
高橋英樹など)も合わせている。彦根では井伊直弼は「開国の父」と言われ崇拝されて
いることから、一般的な井伊直弼のイメージとは違うんだろうな?と感じた。
※ちなみに特別展『戦国!井伊直虎から 直政へ』では井伊直弼についてはスルーされ
ると思っている。
この後、二の丸御殿(槻御殿)の「玄宮園」「楽々園」→「彦根城博物館」→「天守」
とまわったものだから、予想以上に見学に時間を費やしてしまった。
彦根藩第四代藩主井伊直興建立の槻御殿「玄宮園」「楽々園」、彦根藩政庁の表御殿
「彦根城博物館」と見学したら結構見応えがあって滞在時間を軽くオーバー(・o・)
今回未見の天秤櫓での展示の『映画「関ヶ原」特別展』は見たいなぁ。